1/6 新年
新年が明けたからどうということはないが、何か自分のなかで設定するにはかなり都合のよい節目ではある。
やはり世界というのは自分対数多の他人、みたいな、見方をする方が多分に健全なアイデンティティの構築に役立つという結論に至ることができた。自分の世界の一部として客観視するのはあまりに不健全であり、おそらく他人のことも世界の一部として同様にしか見れないこともまたかなり問題である。
また、努力してもうまくいかないかもしれないことに対してかなり大きめの労力をかけるリスクを取る、ということが自分の中で経験として不足しているといったことがかなり情けないと思うので、今年はそのメンタリティの改善に心血を注ぎたい。またそうすることは本当に自分が時間をかけるべきことや人間関係の構築の改善に大きく役立つだろうと思っている。まあいわゆるあれだ。
飲食店のお店の予約をあらかじめとる、みたいな形の予定を増やしたい。という気持ちもある。
ありがとうとごめんなさいはそれなりに言えるようになった気もするが、
部屋の整頓はまだまだだな。
あとはしっかりと向き合ってケリをつけたい。そんな一年。
下書き 12/20くらい
キリンレモン無糖を衝動買いしてあまり美味しくないと感じている、みたいな人生
朝、あるいは 12/17
礼儀は大事だ たとえば好意がなくても、嫌いだと思っていても
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まだ夜があると何回も確認をとりたいような、そんな朝。
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議論をすべてポジショントークとして捉えるのは人間の悪い癖なのかもしれないが、そのスタンスをも自分自身が行き来しているような気がする、と思い返したところで、話す、ということと書く、ということの大きな違いに気づけた。
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とにもかくにもまだみぬ誰かを傷つけるようなことがないように一生を送るべきだ、たとえ一生会わない誰かのためであっても。これもまた全体最適。
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真実はわからないことだらけだが、(?)なんで?って聞かないことは自分にとってかなり辛いことである。とにかく共感はできる。共感できる、というのはとても大事な自分の感性である。
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頑張る、ということの美しさのシャワーを日々浴び続けてちょっとずつ自分は洗われている(言い切りたい)社会の現実でまた汚れていく、どんどん綺麗になりたい。
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日プ、永遠に誰と語れる。全然にわかなのが悔しい。
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やはり書き言葉と話し言葉は全然違うな。話し言葉を上達させる必要がかなりある。
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無理だな、って思えばやめればいいか、意味不明さを求めすぎないことか。
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(今日のうちは書き足すかも)
書き足し
1,家にクリスマスツリーを飾りたい。あとスノードームとか?とにかく。
2.共働きに対しての考え方がふと大きく変わった。つまるところ自分はどのみち働くことを選び続けるということである。(自分にとっては働くこと、がやりたいことである)相手のやりたいことを尊重できるということが大事なのであると気づけた。
所感 12/13
自分の機嫌は自分でとる、っていう言葉は正直あまり好きではない。自分は常に他者に機嫌を取ってもらっていることを勘案し、それに感謝するべきなのではないだろうか。そして同様に他者の機嫌を損ねないことを大事にする、という観点もある。
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クリスマスに発表を伴う講義があったのだが、気を使われて休講になった。(?)
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海外旅行の予定を立てるのは、かなり楽しいということに気づいてしまった。国内旅行も知らないところに行ってみたい。
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実際優しさには見返りを求めるべきなのだろうか?永遠のテーマであるが、今のところ、その人が素晴らしい、ということ自体が十分に見返りになっており、そのような人間を友人というのではないか?と書きながら気づいた。
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なんか中央線沿線が普通に好きすぎる気がしてきた。
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批判と否定は違う、というのは自分なりの論理である、というか批判と否定の違いは結局のところあいまい(自分ではあいまいではないと思っている点も含めて)なところで人間はかなり二分されている。
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正直家賃が高すぎる。
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自分はなんだかんだ友達に恵まれすぎている。これは相対的なものではなく自分の満足感の問題として。
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今回は内容としては多くはないが、かなり根源的なテーマを提供できた気がする。
微妙 12/12
加害性がない、というのは非常に大事なことである。これはプライベートな人間関係においてもそうであるということを最近ようやくわかってきた。
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この書き出し書いたのだいぶ前なんだけどどういうテーマで書こうとしたかわすれちゃった。
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人間はなぜ「恋」と「愛」を統一した定義として区別したがるのだろうか?内在的なものは一緒だろう、これもっと言語化したい。
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自己犠牲、という言葉は非常に良くないと思う、他者の視点ではなく自らの視点としてポジションを取ることに干渉しすぎであろう。
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本質的にはマイナスをとらないということはとても大事である、世界のだれかを不快な気持ちにさせるかもしれない択をできるだけ想像し続けること、ということか。これはある意味ではそういうポジションをとっていると言えると腹落ちできる。のでとてもよい。
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あまり歯切れがよくない。
最近インターネットでかなり誹謗中傷を受けている知り合いがいるんだが正直耐えられない。
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信頼の積み増しは実際あればあるだけよいか。
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久しぶりに書いているんだけど自分の言葉に対する納得感が持てなさすぎる。今日。がそれもまた所感か。次書くときはキレキレだといいな、自分。
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ストーリーにいいねをもらえるのは、結構嬉しい。←これとても切れ味よい
自分の「焦り」に対する認識についての 12/8
焦りがあるということはつまるところの結果論だと思う。
自らに余裕がある状態と余裕がない状態は周回のように訪れて結局そこの淵目を彷徨っているはず。
余裕があると何かいろいろなことに手を出したりいろんなこと考えたりしてその結果頭がいっぱいになってしまって結局余裕のある状態がどんどん焦りに支配されていくような感覚がある。たぶん本当に余裕がない時はラインとかも返す気になれないしご飯とかも優先度下がるしそこの下振れを引いてとにかく休んで回復してみたいなゆりもどしで自分が活発になるんだと思う。
多分人間はそこを行ったり来たりする中でできるだけ沈まないように調整したほうがよくてなんとか生きてると思う。(これ全然違う原理で動いてる人もいてたぶんそういう人とは原理的に合わない、人に頼ったり会ったりする感じに明確に現れる気がする)
これは良いことなのだろうか?みたいなことは現状全く思いつかない。
(多分加筆する)
所感 12/7
夫に言われて傷ついた言葉
— 雪だるま (@G8aKBzja8F5e7P2) December 6, 2023
「そんなに、子供の世話が嫌なら、なんで産んだん?子育て大変って知らんかった?」
🔹1年前くらいの自分ならこういうことをいいかねない、今は絶対に言わないけど
🔹子ども欲しいという話を友人としたら、あと2年くらい精神的に成長する時間があれば奥さんのことも子どものことも守れるようになるんじゃないか、と言われた。今は他人に対する無償の愛の自覚の定まりの期間であるということか。あるいは償い?
🔹カラオケでクリープハイプを地声で歌えるようになりたい、みたいな、のような願望をいままであんまり話したことがない気がする。こういうところは明らかに自分の欠点である。
🔹自分の夢を話すことは今の弱い自分を曝け出すことであるという自意識が強かった? 「百八円の恋」の誰かを好きになることにも消費税がかかっていて、という歌詞は神がかっていると思う
🔹今どういう生活を送っているかもっと知りたい、
🔹風俗やマッチングアプリに傾倒するかな、と思っていたけどどうやらそういうことは一切ない、という自分の状態を受け止めている
🔹ご飯のお店を探すのが自分はつくづく下手くそだと思う、自由が丘、三軒茶屋、代々木上原、などは特に苦手分野だ。お店選びが下手くそだと、相手へのホスピタリティを欠いていると判断されかねない。 縁を繋ぎ止めておきたいという気持ちがここ2日でかなり増大してしまった。
🔹主観に一個自分をのせることで客観にしたような文章が多いな。そういうところが自分の意図を伝わりづらくしているのだと思う。